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中欧四都めぐり その3 2014.8.30〜9.4
9月3日(水)

思ってもみないことが起きた。

トイレのドアがロックされて中に入れない状況になった。それに,カードキーをセットしておくと電気が消え,カードキーを抜くと電気が点灯するという逆転現象も発生した。うぅーん,これが旧社会主義国の名残か・・・。

電話では伝わらないと思ったので,フロントに行って話をした。
K「Excuse me. This is my room number. Suddenly toilet room door is locked. and room light ...」
フロントボーイ「OK. I go together.」
というような会話をして,ボーイさんから来てもらった。
ボーイさんは,手慣れた手つきで,ドアノブの小さい穴に針金のようなものを通した。見事開錠というわけである。
K「Why is this locked? 」
ドアの内側のノブに施錠するコックがついていて,それをひねって外に出ると鍵がかかるということを動作で示してくれた。どうやらよくあることらしい。

部屋の入り口のドアじゃないので,こんなところをオートロックにするなよ。チップをやろうとしたら,にこにこして出て行った。まあ,部屋の電気のことはいいことにした。カードキーを抜いておけばいいだけのことだから。ただし,カードキーの紛失だけには気を付けた。ということで,一件落着。


プラハ城の観光から今日の観光が始まった。幸い天気もよさそうである。
プラハ城の入り口には,二人の衛兵さんが銃剣を持って護衛にあたっている。ほとんど動かないが,多少目の動きはある。ここで記念撮影。一時間交代だそうで,大変な重労働である。

 

城の中庭に入っていくとそこには巨大な聖ビート教会がある。



聖ビート教会は,プラハ市内最大のゴシック様式の教会で,ステンドグラスが美しい。アルフォンス・ミュシャのステンドグラスもある。とにかく大きい。身廊は,長さ124m高さ33mだそうだ。





歴代のプラハ王の住居や聖イジー教会などを見て回る。最後は,錬金術師などを集めて住まわせたという伝説がある黄金の小道の小さな家々の中をのぞきながら出口へと至る。



城外に出ると,プラハの街並みが広がっている。



プラハ城を一回りするようなルートで,修道院が経営するというレストランへ向かう。
この旅で最後の昼食は,ビーフグヤーシュとゆでパン。そして,最後のチェコピルスナービールを楽しんだ。





再びプラハの街並みを見下ろしながら,ブルダバ川に向かって歩く。中世の街並みが美しい。





カレル橋の上では,「やさしき川よ モルダウよ 今も昔と変わらぬ」と歌った。







そのまま旧市庁舎方面へと歩く。



ここで,30分ほどの自由時間が与えられた。ここでしか買えないチェコのお土産をゲットした。2時になると,旧市庁舎のからくり時計が動き出す。動画にとったが,どこが動いたのかよくわからなかった。それにしても,大変な人だかりである。すぐ脇の旧市街広場では,いろいろなパフォーマンスが見られた。ベリーダンスをしている男女もいる。とにかくにぎやかで,あっという間に時間が過ぎた。



集合時間直前になって,Fさんが名物パン(筒状になったパン)を食べたいと言い出した。あわてて探したが,その店は近くになかった。今回はあきらめてもらうこととした。

こうして,プラハ観光を終えて,ヴァーツラフ・ハヴェル・プラハ国際空港に到着した。

搭乗手続きはスムーズで,空港内でたっぷりと時間を過ごすことができた。プラハ空港は面白いシステムであった。出国審査が終わって出発ロビーに出る。しかしそこは,出発ロビーではなく,到着ロビーも兼ねていた。手荷物検査は,搭乗30分前に搭乗口近くで受けるとこになる。出国審査と手荷物検査がつながっておらず,手荷物検査の場所が搭乗口3か所に一つずつあるということである。だから,手荷物検査場が出発ロビーのあちこちに必要となる。到着ロビーと出発ロビーをフロアーで分けるほうが効率的か,分けずに手荷物検査場を多くするほうが効率的かということである。社会主義時代の名残であろうか。まあどちらにしても,手荷物検査が搭乗直前に行われるということで,出国審査後もペットボトルなどを持ち込んだまま過ごすことができる。ただし,ロビーで液体物の購入はできない。ここで最後のチェコピルスナービールを飲んで時間を過ごした。

KE936 B747−400 (HL7472)は,定刻18:30に西側から離陸した。6割ぐらいの搭乗率で,中央4人席をFさんと二人で使うことができた。ウランバートル上空を通過し,北京上空を通り仁川空港に南側から着陸した。9月4日11:20定刻の到着だった。


9月4日(木)

仁川空港出発まで,7時間ほどある。せっかくだから韓国に入国し,ソウルに行くことにする。同行者の10人は,空港内に残るという。何して過ごす気だろう。人のことはいいので,添乗員に離団届を提出して韓国に入国した。
2万円を両替したら,180,000ウォンになって戻ってきた。円安ウォン高である。韓国経済が苦境に立たされているわけである。

今回のソウル訪問の目的の一つは,新しくできた地下鉄に乗ってソウルまで行くことである。自動券売機は新しくなり,日本語も使えるようになっていた。一回チケットは,カード代500ウォンのデポジットをとるシステムで,下車したところにデポジットを払い戻す機械がある。仁川空港からソウル駅まで,3800ウォンで約1時間かかる。リムジンバスよりも安く,時間が読めるのがいい。まあ,韓国の公共交通機関には多少の不安があるのだが。電車内の反日広告などにいやな気分になったが,快適であった。

巨大なソウル駅から歩いて南大門(崇礼門)へと向かった。2008年2月に放火された南大門は,2013年4月に再建されていた。



市庁舎前広場に向かう。何これ,日本統治時代に建てられた美しい市庁舎を飲み込むような津波型の新しい市庁舎が建っていた。ここで反日デモを行うのだとか。まったく呆れたものである。



気を取り直して,地下道を通って明洞に行く。多少は日本語を話している人もいるが,数はずいぶん少なくなっているような気がする。お粥屋さんで,アワビのお粥をいただいた。初めて入った店だったが,結構おいしかった。



その後,明洞聖堂を見たりしながら明洞駅から地下鉄でソウル駅に戻った。約2時間のソウル滞在であった。

16:00に仁川空港に着いた。出国審査のあと,手荷物検査で引っかかった。ベルトのバックルもプラスチック製のものに代えて,万全の態勢で臨んだのにピピーと鳴った。久しぶりのボディータッチの検査であった。それはいいのだが,バッグも開けていいかと聞かれた。断る理由もないので,どうぞというしかない。Kらしく,きちんとそろえてバッグに入れていたのに,ごちゃごちゃにされて返された。

というようなことをして,定番のキムチを購入して機上の人となった。

KE764 B737−900 (HL8273)は,18:25定刻に仁川空港を南側から飛び立った。6割くらいの搭乗率だろうか。新潟空港には,海側から着陸した。途中ほとんど揺れもなく,定刻よりも5分ほど早く到着した。


こうして,中欧4か国とおまけの1か国を巡った6日間の旅は,終わったとさ。
めでたし めでたし


旅の総括へとつづく

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