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中欧四都めぐり その2 2014.8.30〜9.4

9月1日(月)

ウィーンでは,今日から新学年。入学式などはなく,すぐに授業が始まるとか。人生最初の登校が雨の中という小さな子供たちもいたようだ。


雨の中,シェーンブルン宮殿に到着した。街路樹は少し色づき,栗のような丸い実が落ちている。葉っぱは小さいが,栃の葉に似ているし,実もよく似ているる。「栃の木のようですね。」とのKのつぶやきが伝わった後,現地ガイドさんが「マロニエ」ですよ。ショックを受けたKは,その晩インターネットで確認した。マロニエ=セイヨウトチノキで,近縁種であった。まあ,このことは改めて説明するのものでもないので,心の中にしまっておくことにした。そうか,マロニエって栃の木だったのか。



雨のシェーンブルン宮殿は,マリアテレジアイエローが美しかった。



見学できるのは,2階部分だけ。「会議は踊る」の舞踏会が行われた大ギャラリーは,思ったほど広くない。それでも,絢爛豪華なハプスブルク家の夏の離宮は,素晴らしいものであった。写真撮影が禁止なのが残念であった。ただし,ヴェルサイユ宮殿と比べると,スケールダウン感があるのは否めない。何と,公開されている部分以外は,公務員宿舎としてそこに住んでいる人がいるということは驚きである。観光収入だけでは足りないという,オーストリア政府も財政状況が潤沢ではないということであろうか。

少ない時間ではあったが,裏側の広大な庭園に回った。時間があれば,展望台であるグロリエッテまで行きたかったのであるが・・・少々残念であった。

 




旧市内に近いベルベデーレ宮殿を見学した。



館内は,美術館となっているが,その建物や庭園は素晴らしいものであった。庭からは,遠くシュテファン寺院の尖塔が見える。もちろん時間がないので,中には入らず,ミュージアムショップでクリムトの関連グッズを購入した。




 バスで旧市街へと向かう。本当は,ここでの自由時間がほしいのであったが,残念ながら弾丸ツアーのためなし。リング(旧城壁の環状道路)に入る手前右手に,「あっ楽友協会だ」と思う間もなく後ろへ,ぼろぼろの写真が何とか撮れた。



次は,ウィーン国立歌劇場だなと待ち構えていると,運よく手前の交差点で赤信号。





歴史的景観を時計回りに一回り。最後に,金ピカのヨハンシュトラウス像が遥か彼方にちらっと見えた。地図で確認したが,本来なら楽友協会の前を通らないでリングに入るほうが効率的であるが,わざわざ迂回してくれた運転手マイクさんに感謝である。

昼食は,リング内にあるレストランで「ターフェルシュピッツ」厚切り豚肉の蒸したものにポテト添えというメニュー。昼食をキャンセルしても自由時間がほしかった。まあ,今回は下見だからこのくらいでいいだろうと,自分に言い聞かせるのが精いっぱいだった。




こうして,音楽の都ウィーンを後にして,4時間かけてハンガリーの首都ブダペストへと向かった。
今回は,バスで4回国境を越える。かつては,国境で入国審査などで1〜2時間かかったそうだが,シェンゲン条約を結んでいる国同士ではフリーパス。国境の場所は,かなり広い緩衝地帯が設けられているが,今はガランとしている。ただし,トラックは関税の関係で検査があるようだ。

早めにブダペストに着いたので,ホテルブダペストにチェックインした。その後,ペスト地区にあるレストランに出かけた。ブダペストの町は,車の渋滞がひどかった。街並みは,彫は深いがくすんだ感じがする。街灯や室内の電燈も暗く,旧社会主義的なにおいがする。夕食のメインデッシュは魚のフライだった。
ギターとバンドネオンとバイオリンのへたっぴな演奏があった。ハンガリー舞曲5番などを演奏していた。本当に下手だったが,我々だけが2ユーロのチップを差し上げた。隣の韓国人テーブルでは,アリランを演奏してもらい,声高々に歌っていた。ハンガリーまで来て自国の歌を歌う韓国人,さすがわが道を行く国であったとさ。



ライトアップされたくさり橋や王宮を眺めながら,ホテルまで送ってもらった。
ホテルブダペストは,円形のホテルで,部屋によっては見える景色が異なる。我々の部屋からは,東に面し遠く国会議事堂や王宮の夜景を見ることができた。


9月2日(火)

鮮やかなモルゲンロートともに,ブダペストの朝が明けた。



このホテルも団体客歓迎のホテルのためか,朝のビュッフェは,混み合っていた。チェックアウトに向かうエレベーターも混み合っていた。

本日の最初の観光は,ブダ王宮。背中がグレーのツートンカラスに出迎えられた。王宮からのドナウ川とそれに掛かるくさり橋そしてペストの街並みは美しい。ここで,イヴァノヴィッチ作曲ドナウ川のさざ波を歌う。「チャン・チャン・チャン・チャララッチャン・・・」そう言えば,イヴァノヴィッチってこのほかに作品があるのかな。この素晴らしい景色を瞼に焼き付けた。



漁夫の砦に上がり,マーチャーシュ教会を見学した。



そのあとは,お決まりのお土産屋さんへ案内された。ここでもたくさんのお土産をゲットした。くさり橋を渡り,ペスト地区へと入った。ブダペストのシャンゼリゼ通りと言われているアンドラーシ通りを通って,英雄広場へと向かった。チェコもスロバキアもハンガリーも長い間,幾多の戦争を経てきたことを強く感じる。そして,どの町に行っても,ペストの大流行が終焉したことに対する記念碑が建てられている。美しい街並みに隠された,苦難の歴史を感じるものが多くあった。


ブダペストの最後の観光は,聖イシュトバーン大聖堂だった。ここで,今回のツアー参加者全員の記念撮影と相成った。本当に,多くの教会を見学した。この後プラハでも2つの教会を見学することになるが,もう頭の中はごちゃごちゃ状態である。



一番の想い出は,この日の昼食。メインデッシュは,チキンのパプリカソース煮。ちょっと辛いかな。この時も,バンドネオン?アコーデオン奏者がご当地民謡などを演奏していた。これが上手い。Fさんが2ユーロのチップを差し上げたら,虹と雪のバラードなどを演奏し始めた。そうじゃないでしょうということで,もう2ユーロ差し上げて,「モンティーのチャルダッシュ」をリクエストした。これがまた上手い。ハンガリー人であることの証明は,チャルダッシュを歌うことだと,あの仮面をかぶった「アイゼンシュタイン夫人」もカルロスクライバーの指揮で歌ったではないか。それはともかく,本当に良い演奏だった。ここまで来たら次はリストでしょうと言うことで,「ハンガリー狂詩曲第2番」を2ユーロでリクエストした。さすがのアコーデオン奏者もこれはレパートリーになかったのか,しどろもどろしながらも演奏した。まあ,減点10点かな。記念に写真撮影をした。同行の方々は,ほとんど音楽に興味がないらしく,興奮状態のKとFさんを冷めた目で見ていた。音楽の素晴らしさを知らないさみしい方々であったということにしておこう。




想い出多いブダペストの街を後にして,スロバキアの首都ブラティスラバに向かう。スロバキア国境あたりから雨模様となり,ブラティスラバ到着時は,風雨という状況になっていた。ダウンベストが大変役立ち,同行の諸氏から羨ましがられた。

ブラティスラバ城は,何のへんてつもない建物であった。ただし,ドナウ川に通じる井戸は,見事であった。このあたりの城は,すべて川岸の高台にある。水責めを防ぐために,深い井戸が掘られている。それらが立派な観光資源となっているところが素晴らしい。



雨の中をブラティスラバの街中を散策した。モーツァルトが滞在したという家,リストが音楽教室を開いたという家,立派なオペラハウス,スロバキアフィルハーモニーのホームホールなど,寒い中雨に打たれながら散策した。



雨のせいもあったが,静かな時間が流れている街であった。最後は,ダニューブホテルブラティスラバで,50セントトイレを借りて,スロバキアを後にした。

ブラティスラバからプラハまでは,5時間ほどかかるため,本日の夕食は,チェコのブルノでの夕食である。メインデッシュはハムロールとポーク,何だか同じようなものばかりで,飽きてしまった。


ブルノからの帰り道,大渋滞に遭遇した。停車時間約45分。2車線の車を左右に振り分け,パトカーが3台通り抜けて行った。夜の9時過ぎになって,ようやく動き始めた。動き始めた途端に普通通りの速さで通行できるようになり,何のための停車?という感じであった。夜10時過ぎにようやく1泊目と同じホテル・バルセロ・プラハに到着した。


つづく

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