
瀋陽の旅 その5 2016.5.9〜11
張氏帥府

奉天は、1928年張作霖爆殺事件、1931年柳条湖事件など、関東軍や満鉄などが絡む事件の舞台となっている。
その奉天系軍閥の張作霖と長男張学良の官邸兼私邸が、張氏帥府である。日露戦争から満州事変、日中戦争と激動の時代の一方の主役だ。
さて、張氏帥府へは、瀋陽故宮から歩いて10分ほどで到着した。
ここのチケットの買い方は少し難しい。
何やらオプションの場所もあるようだが、よく分からない。
すべてのオプション付きの切符(60元)を、例によって老人価格(30元)で購入することにした。
これを中国語で言わなければならない。
「給我全票両張」と言ってパスポートと60元を出した。ちゃんと、老人価格入場券2枚とパスポートを投げて返された。
チケット売り場の投げ返し、なかなか改善されませんなぁ。
【門をくぐると、きれいな広場になっている。伝統的な四合院建築なのだろう。】

【やはり、ここもオンドル】

【張作霖爆殺事件について詳しい展示がある。】

【満州事変の引き金となった、柳条湖事件。1931年9月18日金曜日の碑カレンダーが重い。】

【三階建ての大青楼 強大な権力を物語っている。】

【大青楼内部 執務室】

【大青楼内部】

【どんな会議が行われたのだろうか。】

張氏帥府の見学の後、オプションでついていた趙一荻故居、瀋陽金融博物館を見学した。
その後、繁華街である中街へと歩いた。
ちょうど昼食時ということで、歩行者天国を歩いている人も多かった。

だいぶ足も疲れてきており、昼食にしたいと思ったが、なかなか適当な店が見つからなかった。
まさかここまで来て、ケンタッキーや吉野家というわけにもいかないし・・・。
ようやく、デパートの中にある「マーマー菜館」(マーは、女へんに馬 お母さんの料理店)という店に入った。
ここは、中国全国各地の料理があるようで、何の脈絡もなく、麻婆豆腐、水餃子、醤油炒飯を注文した。
ここのメニューも写真付で、問題なかった。
やはり、問題はビールの注文。青島ビールでいいかと尋ねてきたので、「好的、好的」と答えた。
次にペラペラと中国語を言ってきた。
昨夜の学習を生かしながらドライビールかどうかかなと聞いているが、どうも違う。
必殺中国語「不明白了」を発しようとしたその時、飲み物のメニューを出してきた。
なんと、「純生」でいいかどうか聞いてきたのである。これは、想定外であった。当然「好的、好的」である。
こうして昼間っから青島純生をいただくことになった。
「まだ昼だからビールは1本にしようね。」との約束もあったようだが、あっという間に550ml瓶が空になった。
追加のビールを服務員にお願いすると、またペラペラと始めた。
どうやら冷たいビールがいるのかと尋ねているようだ。「これと同じ」と指さしたら、空になったビール瓶を触って奥へと消えた。
よしよし、冷たい二本目が来るぞと思いきや、常温のビールがやってきた。
まあいいや、ということで、これもおいしくいただいた。
(これまでは、中国のレストランでは、特別に注文をしないと冷たいビールを出さなかった。冷えたビールを置いていない店も多かった。医食同源の国なので、冷たいものは体に悪いということらしい。ビールは冷たいものという、日本の常識は通じない。最近、ようやく冷たいビールのおいしさに気づいたらしい。)
ビールの注文、複雑すぎるぞ中国人。
結構本格的な麻婆豆腐、比較的皮の薄い水餃子、日本風の味付けの醤油チャーハンは、いずれもおいしかった。
ビール2本と合わせて81元とは、リーズナブルである。
【少々遅い昼食 写真を撮る前に食べ始めてしまった。しかも、こぼしながら・・・。】

食事を終え、
中街駅から地下鉄に乗って、北陵公園駅に行く。
北陵公園の中に、清王朝第二代太宗ホンタイジの陵墓である昭陵がある。
ここも、大人の入場券50元が、老人価格25元で入場できた。
これで、先ほどの張氏帥府の60元と合わせて、110元が戻ってきたことになる。
昼食にビールをもう2本飲んでもお釣りがくる。
なんて優しいんだ、中国人。
公園の入り口から昭陵の入り口までは、直線道路で、約1.5キロもある。疲れた足に鞭を打って歩いた。
途中に、ホンタイジの立派な銅像があった。
【愛新覚羅皇太極(ホンタイジ)】

あっ、そうか。清朝の皇帝の苗字は、全部「愛新覚羅」なんだ。
いやぁ、恥ずかしながら初めてここで知った。そうだよね、溥儀や溥傑だけが愛新覚羅な訳がない。
でも、今って愛新覚羅などという人はいないよね。ということで調べてみると、清朝崩壊後、愛新覚羅さんは、ほとんどが金さんになったそうだ。
この金さん、朝鮮ではキムさん、中国ではジンさん、日本ではキンさんと微妙に異なる。
【やっと、昭陵の入り口にたどり着いた。】

【昭陵正紅門】

昭陵正紅門をくぐると、神道が伸びる。
左右には、いくつかの石獣が対になって並んでいる。規模は小さいが、明の十三陵の神道によく似ている。
【神道と神功聖徳碑亭】

神道を進むと、カメさんが石碑を背負った神功聖徳碑亭がある。
ここをくぐると、昭陵の中心地「方城」になる。
【方城の隆恩門 立派だ】

隆恩門、門よりかなり小さい隆恩殿、明楼がある。
【隆恩門から見た隆恩殿とその奥の明楼】

方城は、しっかりとした四角い城壁で囲まれている。
その後ろに丸い宝城がある。宝城には白い砂の山「宝頂」が築かれ、頂上に大きな木が植えられている。ここに、ホンタイジが眠っているという。
【円形の宝城脇から、宝頂・明楼・隆恩殿・三層の隆恩門を望む。】

この四角い方城、後ろの丸い宝城・・・これは、「前方後円墳」に違いないだろうと、Kは、考えている。
明の十三陵なども、すべてこのような形になっている。
日本の古墳時代よりは、はるかに新しい時代であるが、きっと皇帝を祀る伝統は生きていたに違いない。
などと考えながら、足を引きずって昭陵を後にした。
歩き疲れたので、本日の夕食は、デパートの食品売り場のウチゴハンということにした。
今日一日で、31,488歩も歩いていたのだった。
青島缶ビールを飲みながら、日露戦争のこと、張作霖や張学良のこと、日中戦争のこと、そして、中国人のことなどなど話し合った。
時々、あちらこちらに鋭い目を光らせながら。
そう、ここは中国、何が仕掛けられているかわからないのだ・・・突然、公安がやってくるかもしれない・・・もしかすると憲兵が・・・
などと夢とも現とも酔いとも分からない状態で、遼寧賓館の二日目の夜は更けていった。
つづく
