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野沢菜三年目 そして北信濃

野沢菜の収穫が気になる季節になった。雪が降ってしまうとアウトである。11月上旬,Fさんが道の駅「花の駅千曲川」に電話を入れた。

「はい,たくさん入荷していますよ。お待ちしております。」とのこと。
週間天気予報とにらめっこをして,
1120日を実施日と決めた。

数日前には,ノートのスノータイヤも交換済みということで,万が一の降雪や凍結道路がっても万全である。



11月20日

快晴というわけではないが,上々の天気である。

途中,HH様ご夫妻をお乗せして,国道117号線を南下した。
津南の直売所に山積みされた野沢菜を見かけた。野沢菜買うなら長野県でしょうということで,そのまま運転を続け,道の駅さかえで休憩をした。

昨年はここで20kgを購入したのだが,今日は少ない。5kgの束が三つ。本命は,道の駅「花の駅千曲川」なので,さっそく出発する。
道の駅「花の駅千曲川」に到着すると,あるある野沢菜の山があちこちに。どれを選んでいいか迷うほどである。



二年前のトラウマがあり,薄緑色の野沢菜の茎が山のように積まれているのを見ると,本当に幸せを感じる。


お客も多く,どんどん売れている。また,農家の軽トラックもどんどんやってきて,野沢菜の山がまた大きくなっていく。ここで買うのがいいということをみんな分かっているんだ。

葉が痛んでなく,しっかりとした野沢菜4kgの束を五つ購入した。


本日の目的が達成されたので,ここからは,サービスに徹することにする。


道の駅「花の駅千曲川」で昼食の後,向かった先は,高野辰之記念館。



唱歌「故郷」「朧月夜」「紅葉」「春が来た」などの作詞者である…といっても,本当はよく知らなかった。
実は,前日インターネットで…。いやー,とてもよかった。

小さな記念館だったが,二階からは,「かの山」も見ることができた。
このあたりの風景なのかと思いながら,里山の昔に思いをはせた。



ここまで来たら,小布施でしょうということで,例の中島千波のカレンダーをゲットしようと,おぶせミュージアムに向かった。カレンダーはまだできていないということで,着払いで予約をしてきた。
まあ,ミュージアムの中は見なくていいでしょうということで,竹風堂でお菓子をゲットしてきた。


最後の訪問先は,ご存じ中山晋平記念館。




高野辰之と中山晋平がほぼ同時期に同じ中野市の出身であるということに,驚きを感じた。さすが,信濃教育会である。公益財団法人新潟教育会も負けてはいられないぞ。
(関係ないか)


中山晋平記念館では,ゆるキャラタヌキのオブジェがシャボン玉を吹いて迎えてくれた。
「證 證 證城寺」と「シャボン玉とんだ」のコラボなのだろうが,情緒がないので写真にとらなかった。


記念館の中では,暇げで人のよさそうな館長さんがピアノ伴奏をしてくれたり,説明をしてくれたりした。
Fさんも特別に,ピアノ演奏をさせてもらった。

それにしても,中山晋平さん,非常に多くのジャンルの多くの曲を作曲したのですね。私にとっては,「砂山」かな。


そんなこんなをして,北信濃を後にしたのであった。あの地震が起きたのは,その56時間後であった。


11月21日

漬け込みの準備作業に入る。
切り口をきれいにして,太めの茎には,十文字の切れ込みを入れる。こうすることにより,漬かり具合が均等化されるという。併せて,傷んでいる葉を取り除くなどのチェックをする。




続いて,水洗い。




今年は大きな洗い桶を購入したので,作業が楽だった。茎の間に入っている砂などを丁寧に洗い流した。

そして,いよいよ漬け込み。




10
kgずつ二つに分けて,それぞれ350gの塩で漬ける。3.5%の薄塩である。重石は,それぞれ20kg。水が上がるまで,5日間もかかった。

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