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大相撲秋場所観戦ツアー 2017.9.14



大相撲夏巡業を見て、相撲の面白さに改めて気づいた。
しかし、巡業は所詮練習。面白いのは面白いが、本気の取り組みとは全然違うように感じた。

よし、大相撲九月場所に行くぞ!と意気込んで、チケット購入に挑戦した。

九月場所のチケット発売は、8月5日(土)10:00〜。パソコンに向かって入力すること1時間、なかなかつながらない。
たまに、つながるが、その先につながらず、最初からやり直しということになってしまう。

つながったとおもったら、すでに完売。ここまで1時間30分、残念でした。



数日後、ふと思って、旅行社の大相撲観戦ツアーを調べてみた。すると、あるではないか。


「現地集合・現地解散、昼食寿司食べ放題、江戸博物館見学付きで、マス席B」
ゲットした。



【当日、旅行社から受け取った入場券。】




余計なものもついているが、まあいいか。



2017年9月14日(木)

新潟駅発 6:56 とき304号に乗車するために、13番ホームに昇ろうとエスカレーターに乗ったその時、なんと、Kakosu様に会った。
越後湯沢へご出勤の途中とか、お疲れ様です。

ただし、とき304号は、越後湯沢に停車しないので、Kakosu様は、次の列車に乗車とか。ということで、お見送りを受けて、新潟駅を出発した。



上野駅で下車し、秋葉原駅で乗り換え、両国駅に着いたのは、9:30頃だった。

旅行社との待ち合わせは、両国駅西口11:30ということであるが、周辺を散策してみようということで、かなり、早く到着したのである。



【両国国技館の入り口脇 お目当ての豊山関の幟もある。】




【相撲太鼓の櫓と豊山関の幟とFさんと】




両国国技館の入り口を通り過ぎ、旧安田庭園に向かう。
(江戸時代につくられた大名庭園、いろいろ変遷があって、旧安田財閥が所有することになったらしい。)



【おっ、粋な黒塀・・・旧安田庭園の入り口】



【東京スカイツリーが借景?になっている。】



【両国国技館の屋根が見える。】




両国駅に戻り、駅の南側を散策する。



【何やら、由緒ありげなところだ。】




【右側にある碑をみてみると、「赤穂義士遺跡 吉良邸跡」とあった。】





「時に元禄十五年十二月十四日、江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、しかも一打ち二打ち三流れ、
思わずはっと立ち上がり、耳を澄ませて太鼓を数え『おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ』
助太刀するは此の時ぞ、もしやその中に、ひるま別れたあのそば屋が居りませぬか、名前はなんと今一度、逢うて別れが告げたいものと、
けいこ襦袢に身を固めて、段小倉の袴、股立ち高く取り上げし、白綾たたんで後ろ鉢巻眼のつる如く、
なげしにかかるは先祖伝来、俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、切戸を開けて一足表に出せば、
天は幽地は凱々たる白雪を蹴立てて行くは松坂町」

「吉良の屋敷に来てみれば、今、討ち入りの真っ最中、総大将の内蔵乃助。
見つけて駆け寄る俵星が、天下無双のこの槍で、お助太刀をば致そうぞ、
云われた時に大石は深き御恩はこの通り、厚く御礼を申します。されども此処は此のままに、槍を納めて御引き上げ下さるならば有り難し、
かかる折りしも一人の浪士が雪をけたててサク、サク、サク、サク、サク、サクー、
『先生』『おうッ、そば屋か』
いや、いや、いや、いや、襟に書かれた名前こそ、まことは杉野の十兵次殿、
わしが教えたあの極意、命惜しむな名をこそ惜しめ、立派な働き祈りますぞよ、さらばさらばと右左。
赤穂浪士に邪魔する奴は何人たりとも通さんぞ、橋のたもとで石突き突いて、槍の玄蕃は仁王立ち・・・」

(北村桃児作詞「俵星玄蕃」より・・・長かった・・・)




【ということで、ここは本所松坂町公園】







近くには、勝海舟生誕の地記念碑などもあった。



【記念碑とともに、その時代の人々との交流についても掲示されている。】




この辺りは、相撲部屋も多い。



【迷った挙句探し当てた時津風部屋は、大きなビルの一階にあった。】




【隅田川の脇で休んだりして時間を調整し、】




集合時刻が近づいたので、集合場所に行った。何と、総勢40名ほどである。



【白い柱の前でチェックしている人が、旅行社の係員】




この後、江戸東京博物館を見学し、美味しくない食べ放題寿司を食べて、いよいよ両国国技館への入場となった。
(江戸東京博物館は、以前数回来ているので省略でもいいのだが・・・。でもこの見学と寿司がないと、旅行社は、単なるダフ屋になるので、仕方のない組合せなのだろう。)



【両国国技館のもぎり】




「貴人は、南に面して座る」ということで、正面の席は、北側となる。
その反対側が向正面(南側)で、正面(北側)の左手が「東」、右手が「西」になる。

この東西南北は、本当の方位とは、関係ないそうである。実際、両国国技館は、「西側」から入る。入った所が「正面席」になっている。
本当の方位とは、90度左にずれてる。

大相撲のテレビ放送では、正面の一階席の一番上から映すことが多いので、向正面の前列の人が良くテレビに出てくる。
(この日は、林家ペーと林家パー子がいた。あとで確認したところ、大村崑ちゃんも映っていた。)



【マス席Bの一番後ろだった。ちょっと行司さんが邪魔になるが、めったに見れない位置だったので、良かった。】



【入場直後、まだ幕下の取組なので、座席はガラガラ。】



【名物、焼き鳥を肴に、まずビール一杯 これが、相撲文化だ。】



【そうこうしているうちに、東十両の土俵入りが始まった。まだ、マス席は、ガラガラ。】



【十両の取組の最後になると、かなりの人が入っている。】



【西幕内の土俵入り】



【四横綱のうち唯一出場の日馬富士の土俵入り ボケボケですみません。】



【いよいよ、豊山の登場、対戦相手は手前大翔丸 豊山に水をつけるのが魁聖】




ここで勇気を出して、「ゆたかやま」と掛け声をかけた。結構難しいものである。
実は、十両の取組で、練習を一回だけしておいた。「あみにしき」



【時間です。善戦むなしく、あと一歩のところで突き落としを食らう。残念!】




マス席は、結構狭い。同席となった人と相撲談義をしながらの観戦となった。
これも、現地でなければできない体験だ。

同席のおっさん曰く「ちばてつやの『のたり松太郎』いいですよ。」よし、今度読んでみよう。



【豊山の一番が終わって、あとは、お弁当を肴に日本酒でじっくり観戦。】







やたら休場力士が多いせいか、仕切り回数が多いような気がした。

日本相撲協会もやりくりが大変なのだ。



豊山が負けたのは残念だったが、

照ノ富士がけがをした一番も見た。
日馬富士がでんぐり返されたのも見た。座布団が乱れ飛ぶのも見た。(残念ながら写真に撮らなかった。)
聡ノ富士の上手な弓取式も見た。



テレビのアップ画面で見るのと違い、力士の細かい表情などは、見て取れない。
しかし、その場の臨場感、空気、雰囲気等々、テレビでは決して伝えることができない醍醐味を味わうことができた。
また、テレビ画面には登場しない、行司さんによる場内放送や、中入りでの翌日の取組の発表や、お茶屋さんのお仕事など、新しい発見もいくつかあった。

相撲の勝負というものも面白いが、それらを支える裏方さんたちとその立ち振る舞い。
観客と一体となった「日本文化の総合芸術」であることを確認した。



高い櫓の上で打ち鳴らされる「はね太鼓」を聞きながら両国国技館を後にした。



余韻を楽しみながら、18:52東京駅発のMAXとき341で帰ってきたとさ。

めでたし、めでたし。

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