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カンボジアの旅 総集編 2015.2.3〜6


水を支配する者が国を支配する

 雨季と乾季があり,トンレサップ湖のように,その大きさが3倍も変化するような国土にあって,治水は,国家の最重要課題であったに違いない。

 遺跡を訪ねて,浮かんでくる疑問がいくつか出てくる。

Q1 石材をどのように運んだか。
Q2 その石材をどのようにして組み立てていったか。
Q3 巨大な建造物の下の基礎はどうなっているのか。
Q4 彫刻はどのようにして作られたのか。

A1 60キロ離れた場所から,水路を作って運ぶ。
A2 下から組み立てていき,出来上がったところを濠になる部分の土で埋める。これを繰り返しながら,高さを増していく。完成したら土を取り除く。
A3 基礎は作らなかった。回りの濠に水がたたえられていることにより,土と水とのバランスでがっしりとした土台を形成している。
A4 全部出来上がってから,上から順に彫刻を施していく。すでに構造物として出来上がっているので,間違いは絶対に許されない。

 クメール人の知恵と芸術性が詰まっていることがわかる。


各国援助による遺跡の修復とお国柄

 フランスが宗主国であった関係で,フランス援助による遺跡の修復が多くある。フランスの修復は,コンクリートの多用が特徴だそうだ。材料が見つからない部分など,すぐにコンクリートで埋めるようである。
 それに比べ,日本援助による修復の場合,材料が見つからない部分は,使われている石材と同じ石を使って,修復するようである。
 フランスでは中世の建造物が多く保存され活用されているのに,意外な感じを受けた。国内と国外という感覚の違いであろうか。このあたりにもお国柄の違いがみられるようである。

【遺跡の解説看板に,どこの国からの援助かが記されている。】




大型ジェット機が飛ばない理由

 アンコール遺跡を訪れるメインルートは,シェムリアップ空港を利用する空路である。大韓航空は,ほぼ同時刻に2本の定期便を飛ばしている。運航効率から言えば,大型機1本のほうが断然いい。しかし,それができない。シェムリアップ空港は,遺跡群に近いため,大型ジェット機の乗り入れを禁止しているからである。

 大型機は,低空での通過や離着陸による空気振動が大きい。これらが遺跡の痛みを進めるからだそうだ。経済的な効率と遺跡保存,悩ましい問題である。


【遺跡に近すぎるシェムリアップ空港】




子供たちは今

 義務教育がない。都市部の子供たちの多くは,学校に通っているが,農村部の子供たちは学校に行かない子供も多いという。また,学校や教員不足により,学校は午前午後の二部授業を行っているそうだ。これらのことから,識字率は76%程度で,世界的にみても低い。

 観光地に行くと,子供たちがいろいろなものを売りにくる。無視すれば,2回ほどの声掛けで去っていく。しかし,ある所で小学校3年生くらいの女の子と目を合わせてしまった。こうなると厄介である。千載一遇のチャンスとみて,どこまでもどこまでもついて来る。ヨーロッパの大都会にいるロマの子供のように,ミサンガを巻きつけて代金を要求するようなことはしないが,少々厄介である。

 これらの子供たちを可哀そうに思い,品物を購入する観光客がいるという。ガイドのポーラさんは,買わない方がよいという。結局は,親の収入となり,子供の生活がよくなることにはつながらない。ますます労働者として子供を使うようになるだけだ。きちんとした教育制度が必要だと,訴えていた。



交通事情

 とにかくホンダのバイクが多い。排気量は,125ccくらい。たぶん隣国タイで生産されているものだろう。カンボジアの人たちにとっては,高嶺の花のようである。これらのバイクが縦横無尽に走り回っている。一家四人で乗っているものもある。

【三人しか乗っていない・・・まだいい方】



 聞けば,バイクの運転免許は不要だとか。確かに,オートマチックのスクーターだから,自転車に乗れれば,ある程度運転できるだろう。しかし,それ相応のスピードも出るし・・・。車の運転免許も昔はかなりいい加減だったようだ。
 もっとも,日本でもグラウンドを一回りしてきたら運転免許がもらえたなどという話を聞いたことがあるが。

 道路は基本未舗装である。舗装された主要道路でも両側1/4は,土のままである。路側帯もなければ,中央線もない。ここに,自転車,バイク,トゥクトゥク,乗用車,トラックが入り乱れて走る。

【観光地巡りのトゥクトゥク バイクで曳く人力車】


【各種車両が入り乱れて走る】



 道路沿いは,どこも土ぼこりまみれである。それでも,そこここに洗濯物が干してある。
 夕方洗濯物を取り入れると,相当な砂ぼこりが叩き出されることだろう。



冷蔵庫いらず

 市場は大変なにぎわいである。ここでは,毎日買い物に市場に出かけるそうである。その日必要なものはその日に市場で購入するため,冷蔵庫のある家庭はほとんどないそうだ。もちろん,都会に住むお金持ちは別であるが。

 日本だって,冷蔵庫が各家庭で使われだしたのは,ほんの数十年前のことである。電気が無ければ無いで,ちゃんと生活できるのである。ただし,もうその時代にも逆戻りすることはできない。



援助するとは

 お土産のアンコールクッキーは,日本人女性マダムサチコさんが経営する店で購入した。1999年にカンボジアで日本語教師兼観光ガイドを始めたサチコさんは,「カンボジアの土産って何?」と聞かれるたびに,返答に窮したという。貧しさゆえ何もなかったのだそうだ。このことがきっかけで,純カンボジア産で品質の良いクッキーを生産し,カンボジア人の自立に結びつくことを理念に,起業したそうだ。
 援助するということは,ただ単に恵んでやる・恵んでもらうということではなく,自立していく力をつけてやること,これを実践したのだ。

【マダムサチコさんのパンフレットから】



 丁寧に観光案内をしてくれたポーラさん,別れ際に,アンコールワットのこと,カンボジアのことを多くの日本人に伝えてください。たくさんの人に知ってもらうこと,そしてできればカンボジアに来てもらうことが,一番ありがたいのですと語っていた。

【ガイドのポーラさん お世話になりました】




後日談

 2015年2月19日の新聞に次のような記事が掲載された。

 新潟,海外渡航歴のある2人が細菌性赤痢
 要約:60代男性と20代男性が細菌性赤痢と診断された。いずれも2月上旬に参加したカンボジアへの団体旅行から帰宅後発症した。症状は回復しているという。:

 そういえば,我々が出発した当日,新潟空港からシェムリアップに出発する貸切便があるという表示があった。チャーター便ではなく,貸切便である。調べてみると,農協観光が貸切っているという。まあ,飛行機一機分,約150名を募集できるのは,修学旅行か農協観光ぐらいであろう。今回の記事とかなり符合する。
 二日目の昼食会場で見かけたその名を冠したバス集団の中の二人に違いない。トンレサップ湖の水でも飲んだだろうか。発症した方は,今の医療ではそう心配がなく,昔と違って隔離されることもないが,手配した旅行会社では,大変な騒ぎであったことだろう。

 他山の石として肝に銘じる良い教訓となった。



おしまい

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